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Research Director 阿部 新助

阿部 新助

日本大学理工学部航空宇宙工学科 准教授

――現在の研究分野に進まれるようになった背景から教えてください。
「幼い頃は空を見るのが好きで、星空を眺めたり、百科事典を読み耽るような子供でした。よく覚えているのは、百科事典に載っていた銀河の写真ですね。そこには「私たちの銀河」という説明文が添えてあったんです。今にして思えばアンドロメダ銀河の写真だったわけですが、当時は、光の速度で10万年もかかる大きさの私たちの銀河を、誰が写真を撮ったのだろうと、幼稚園の先生や親に聞いて回ったのを覚えています(笑)」

――宇宙や空に関係する仕事に就きたいという思いを、ずっと抱かれていた。
「ええ。小学生の頃はUFO探知機を作ったり、高校では天文部を結成したりするという典型的な科学少年で、高校卒業後は日大理工の航空宇宙工学科に進学しました。  
そして20歳を過ぎたあたりから、天文学者の世界に強く惹かれるようになりまして。以降、名古屋大学大学院の素粒子宇宙物理学専攻では太陽風や彗星の尾を、国立天文台(総研大)の博士課程時代には流れ星を研究するようになりました。1999年の11月18日、しし座流星群が1時間当たり4200個もの流星雨を降らせた時には、NASAの観測機で地中海上空を飛行していました。あの時の幻想的な光景は、今も忘れられません」

――その後ははやぶさの小惑星探査プロジェクトに関わったり、チェコや台湾、ハワイ、そしてもちろん日本でも意欲的な研究を行われてきたわけですが、ALEのプロジェクトにはどのような形で関われたのでしょうか?
「きっかけは2014年の2月、新聞で岡島さんの記事を目にしたことでしたね。すでに私は日大で教鞭をとっていましたが、人工流れ星の実験をいつかやってみたいと、ずっと思っていましたので。ぜひ一緒にやらせていただきたいと、すぐに岡島さんにメールを書きました」

――人工流れ星の構想を持っていらっしゃったと?
「はい。海外の研究機関に提案をしたり、予算をつけてほしいという交渉をしたこともありましたし、日本でも2006年ごろに開かれた学会で、人工流れ星の実験を提案していたんです。
実際、人工流れ星というアイディア自体は、かなり昔からありまして。NASAは1960年代、鉄やマグネシムをロケットで打ち上げて大気圏に再突入させる実験をしたこともあります。ただしこれはアポロ計画に向けて行われた単発の調査でしたし、以降も人工流れ星の実験を本格的に行った人はいませんでした。やはり資金を捻出するのが大変ですから。そういう意味でも、人工流れ星をビジネスとしてパッケージ化しようとする岡島さんのアイディアには感心しました」

――岡島さんとお会いになったのは、その時が初めてでした?
「たしかに宇宙教育というプロジェクトを東大の研究者たちが中心となってやっており、その中のメンバーの一人だということは知っていました。ただし人工流れ星のプロジェクトを計画されていることなどは、まったく知りませんでしたし、本人にお会いするのもその時が初めてでしたね。最初の印象は、明朗快活で非常にハキハキされている方だなと。まさに人徳あっての人脈というか、岡島さんの周りに多くの方が集まってくる理由がよくわかりました(笑)」